雪で進めなくなったギンコが訪れたのは、すずとミハルという姉弟が二人で住む家。
すずは、自分には見えない、奇妙な生物が見えるらしい弟の行動に悩んでいるようでした。
ギンコはミハルが見ているのは蟲だとすずに教えます。
ギンコも子どもには弱いのか、はたまた冬で弱ってるからなのか、蟲の中でも害のあるものとないものとを彼に教えると請け合いました。後で
人の話を聞かない・落ち着かないミハルに手を焼き後悔しています。
ミハルは三年前の冬、行方知れずになったことがありました。里の大人と一緒に捜索しても見つからない。ところが春になって彼はひょっこり戻ってきたのです。
それ以来、冬の食べ物が尽きた頃にミハルはいなくなり、晩にはふもとに倒れている。冬には採れない筈の山菜を持って。そして春まで昏々と眠り続けるのでした。
すずからその話を聞いたギンコは、それがウソブキという蟲の起こす「春紛い」かもしれないと考えます。
ウソブキが紛い物の春を起こして動物たちを引き寄せ、その精気を吸う。
ギンコはミハルに、どこで山菜を見つけてくるのか聞き出そうとしますが、彼は教えてくれません。ギンコは言います。
「戻る場所があるんだからあまり向こうに踏み込みすぎるな」
ギンコには戻る場所がない。
彼がすずたちの家に留まっている間に、やはり蟲が寄ってきていました。ギンコは天井に蝶のさなぎのような蟲を見つける。
そしてあるときミハルは外に出ていき、ギンコが探しに行くと雪の中で倒れています。
ミハルの持っていた袋を開けると中には山菜と蝶が入っていました。飛び立っていく蝶。
ギンコは蟲を寄せすぎたと、眠り続けるミハルをすずの元に置いて出立します。「ミハルが寂しがる」と言うすずに、また顔を見に来ると彼は約束していきました。
そしてまた 冬山でひとり 春と嘯く 翌年の冬。
ギンコが姉弟の家を訪ねると、春になれば目覚める筈だったミハルはあれから一年間眠ったままだといいます。
目覚めるための何かが足りない。ギンコは去年、ミハルがいた場所を探索することにします。
家を出るギンコの腕を無言で握るすず。
雪の中でギンコは蝶を見つけました。
追っていくとその先に広がっている、紛い物の春。動物たちが次々と眠りについていく。
蟲の正体をつかんだギンコも、やはり眠りに落ちていく…
ギンコを見つけて家に寝かせたはいいものの、どうしていいか分からないすず。
彼女はふとした折にギンコのコートから落ちた竹筒を拾い、蓋を開けます。すると中から蝶が飛び立つ。だがそれは彼女には見えない。
暗闇の中に響くどおん…という低い音。
春の足音でしょうか。
ギンコはもう春が来たと、冬眠から醒めるようにして目を覚まします。そしてミハルも。
「春と嘯く」は久々に、ギンコを除けば子どもしか出てこない話でした。
放映を今のこの時期にもってきたのは、偶然かもしれませんが、非常に良いタイミングだと思います。
春紛いで零れ落ちるように降ってくる桜と、その外の現実ではしんしんと吹きすさぶ雪。この対比が美しく、アニメで見られて良かった。眼福。
すずとミハルの姉弟が、人懐こいわけではないけれど、ぼんやりと温かい。ギンコにとってはそれもまた、冬に咲く紛い物の春。
ひとつ処に留まれないギンコの業が今回もうかがい見えるものの、話全体の印象は優しいものでした。
ギンコと子どもとのやりとりが中心になるという点で、「春と嘯く」は「柔らかい角」や「瞼の光」と共通します。
それらがまた共通して優しい感じをもつ(と私には思われる)のは、他の話ではしばしば焦点となる里という人間の集団組織と個人との葛藤に、あまり焦点が当たっていないためではないでしょうか。
もっと言えば、そこでのギンコは、蟲の世界にはまり込んで人間の世界への戻り方が分からなくなってしまった子どもを、そっと手を引いて帰してやる。そういう大人として機能している。
無論のこと、ギンコにそれが出来るのは、彼が世界の狭間にいる「奇妙な」大人であるがために他ならないのですが。
ミハルを諭すときのギンコの言い方が優しいと思いました。
「(蟲は)決して友人じゃない、ただの奇妙な友人だ」…「好きでいるのは勝手だけどな」
すずとミハルのギンコに対する懐き方も、ちょっと距離が残っている奥ゆかしさがあっていじらしいです。
ギンコが去るとき、すずは「ミハルが寂しがる」と言い、ミハルは「姉ちゃん寂しがる」と言う。
半分はきょうだいのことを思っているんだろうけどもう半分は、
本当は自分が寂しいんだろーこいつめこいつめーと抱き締めたくなります。
感想は以上です。
以下は、極私的なくっっだらない考察ですので、とくにミハルが好きな人は読んじゃダメ!メッ!だよ。
…いいんですね?
あなたが気分を害されても私は知りませんよ。
では。
えー実は「春と嘯く」、すごく好きな話ではあるんですが、ひとつだけ困ったことがあります。
それはミハルの名前です。
何故なら私もミハルという名前だからだーっ(どーん)
ギンコの口から「ミハル」、すずの口から「ミハル」と聞くたびに恥ずかしいったら、ケツがむず痒いったらないよ!もーっ!
思えば、この名前のせいで私は幾たびとなく性別を間違われてきました。
学校の名簿とか。健康診断のときとか。手配してもらった飛行機のチケットで間違われてたときなど、事故ったらどうなるんだと。
そして名前を念頭に私の顔を見た人たちの失望も、何度目撃してきたことか。
考えてもみてくださいよ。
南海キャンディーズの山ちゃんがミハルって名前だったら貴方、どう思います? 詐欺だと思うでしょう? そういうことですよ。
そして困ったことに、「ミハル」は何気にキャラクターの名前として使用されることが少なくなかったり。
ロボットアニメではファーストガンダムからガサラキまで。スピードグラファーにも居ました。
あとはPiaキャロット(冬木美春)、ダ・カーポ(天伽美春)、GIRLSブラボー(ミハル)…萌え系が多いのは気のせいですか?
とにかくもう見事に女の子ばっかりなわけで。
どっちかっていうと美少女ばっかりなわけで。
もうね、私はね、恥ずかしい。すごく恥ずかしいよ父ちゃん。
私にこんな名前をつけた張本人は、私が山ちゃん似のアニオタになるのを目の当たりにすることもなく天に召されて
ある意味ラッキーだったかもしれません。
しかし残された方としては、例えば実の父親すらこの名前に違和感があるのか幼少時は「ミツスケ」、今では「ミツオ」と呼ぶ体たらく。
もういいよ「みつを」で。俺、「みつを」になるよ。髪を脱色して眼鏡ももっと縁の太いのにして、ラブでピースフルな詩を書くよ。それは326(ミツル)。
うーん、だから、「蟲師」で男の子の「ミハル」が出てきたのはある意味エポックメイキングってやつ?
「蟲師」に登場する人物の名前はどれもちょっと意外性があると言いますか、普段あまり連想しない音と音を繋ぎ合わせていて、新鮮と言いますか。
それが物語の雰囲気作りに一役買っているわけですね。
「ミハル」は結構、人名に使われてる方だと思うのですが、漆原先生に使われるということは何かしらの神秘性があると判断されたのかしらんと思うと、光栄です。光栄すぎてケツがむず痒いです。
あと「隠の王」とゆう漫画では主人公の少年が「壬晴」と書いてミハルと呼びます。
可愛いのにっ…その名前で俺的に台無しっ…! ほら、本当にくっっだらない考察でしょ。
終わります。
【・・・Close】